2012年1月5日(木)
関連する写真はこちら1月5日、イスラエル占領軍は、ジェリコ市から2、3キロ西にあるアル・ドゥユーク村の3軒の家屋を破壊した。2軒は、エルサレムに住む家族が所有するもので、1軒は建設中であった。
加えて、イスラエル占領軍は、家屋を破壊された家族と他の破壊命令を受けている家族に電力を供給していた電線も破壊した。
昨年11月15日には、アル・ドゥユーク村で4軒の家屋が破壊されている。
2011年12月20日(火)

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※住民(アブー・ナハル)の証言ビデオ(翻訳付き)はこちら
12月20日の午前9時、イスラエル占領軍は、ファサーイル・アル・ウスタ地区の3つの家屋と5つの家畜小屋を破壊した。家屋は、アベド・ヤシム・ラシャイデと彼の兄弟であるハッサン・ヤシム・ラシャイデおよびハドール・ムハンマド、アブー・ナハルが所有していた。これらのテントには全部で13家族が暮らし、中には7人の子供もいた。
軍と警察のジープ11台とブルドーザー2台、市民行政局のジープ2台が来て、家族を取り囲み、彼らの家は軍事閉鎖地区にあると宣言した。住人は、自宅が破壊される前に自分の衣類や所有物を持ち出すことを禁じられた。
イスラエル軍は、ファサーイル・アル・ファウカ地区の家畜小屋も破壊した。
2011年3月、イスラエル軍はファサーイル・アル・ウスタ地区で18軒の家屋と3つの家屋小屋を破壊し、63人の子供を含む103人の人々から家を奪った。多くの住民が地区を去り、留まった人々の生活はますます厳しくなった。
昨日、市民行政局が来て、コミュニティ全体が地区を立ち去るよう命じ、従わなければ、すべての建物を破壊すると伝えた。今朝、彼らが、兵士やブルドーザーとともに村に来たとき、コミュニティのすべての家族は、破壊を覚悟して、持ち出せるものすべてを素早く運び出した。
このコミュニティの人々の多くは、周囲にあるトメール(1978年)とファツァイル(1975年)という農業植民地で働いている。また、彼らは、他の多くのベドウィンと同様、家畜を育てており、チーズを生産している者もいる。ファサーイル・アル・ウスタ地区では、家に水道や電気を引くことが禁じられている。200メートルばかり離れたところにある、B地区に区分されたファサーイル村ではそれらの基本的な権利が許可されているにも関わらず。
2011年12月20日(火)
12月19日、占領軍(IOF)は、アル・ハンメ村の7家族に対し、15の破壊命令を発行した。コミュニティにある建物それぞれについて一つの破壊命令が出された。また、彼らはアル・アカバ村に対しても6つの家屋破壊命令を出した。アル・ハンメ村では以下の家族が対象となる:
・マフムード・アウワド・アイユーブ・アレイシェ
・アベド・ラッボ・スレイマン・バニ・アウデ
・ミスカル・アハマド・アブディル・カリーム・フォカ
・ハッサン・アハマド・サリーム・アブー・ザフー
・ムハンマド・アハマド・サリーム・アブー・ザフー
・ハビス・ザワフタ
アル・アカバ村では以下の家族が対象となる:
・ハーリド・アブディ・ラハマーン・スベイフ
・ムハンマド・アブー・ナジェ
・アラ・アブー・ナド
・アブディル・バセット・サリーム・ジャベル
IOFは、ファサーイル・アル・ウスタ地区のコミュニティ全体に対しても、地区からの退去を命じ、従わなければ、この地域すべての建物の破壊を行うと伝えた。このコミュニティでは、今年3月に、18の家屋と3つの家畜小屋が破壊され、63人の子供を含めた101人の人々が家を奪われた。
2011年12月18日(日)
イスラエル市民行政局は、アル・アウジャの泉の周辺地域を自然保護区であると宣言した。またしても、オーウェル風の二枚舌でパレスチナ人の土地の併合が言い繕われ、パレスチナ人からの土地の強制収用は、「自然保護」なのだとされた。実際には、今後、この土地は、イスラエル人によって独占的に使われることとなる。
数世紀にわたり、アル・アウジャの泉はラス・アル・アウジャとアル・アウジャ周辺にコミュニティを築いた人々に新鮮な水を供給してきた。この地域は、豊富な水と豊かな土壌、温暖な気候で知られていた。バナナとかんきつ類が豊かに実り、人々は高い水準の生活を送ることができた。つい15年ほど前まで、西岸地区の諸地域のパレスチナ人たちは、この地域を訪れ、ピクニックをしたり、泉で泳ぐなどして、自然を楽しんでいた。
今回の土地の「再区分」は、ラス・アル・アウジャで遊牧を行うベドウィンに対して、直接の影響を与える可能性が非常に大きい。彼らの家畜は、泉の周辺の丘陵地に生育する限られた量の牧草によって育てられている。ヨルダン渓谷の羊飼いたちは、パレスチナ人が使ってはならないとイスラエルが決めた土地で遊牧したという理由で、しばしば、逮捕されたり罰金を科せられたりしている。
パレスチナ人は、ヨルダン渓谷の土地の5%について限定的な支配権をもっているに過ぎない。残りの50%はイスラエル入植地が支配し、45%は、「軍事閉鎖地区」「境界地区」「自然保護区」であると宣言されている。そこには多くのパレスチナ人コミュニティがある。アル・アウジャの泉の周辺を自然保護区であると宣言することによって、イスラエルは、そこに暮らしてきた先住民族の強制移住を正当化しようと試みている。イスラエル自然・公園局は、この地域の自然環境を楽しもうとする観光客を集めたいと考えている。彼らの設置した標識は「自然環境や植物相に影響を与えること」を禁じるとしている。
実際、ラス・アル・アウジャ地区のベドウィンは、メコロット社の給水所で移動式給水タンクを用いて高価な水を買わなければならないため、貧しい生活を余儀なくされている。イスラエルが、彼らの生活を支える土地や資源を暴力によって奪っているため、ベドウィンの家族やコミュニティ、そして文化が破壊されている。大規模な水の収奪は、泉を完全に枯らしててしまい、この地域の生活を圧迫している。
1972年、メコロット社は、泉の水源の近くに二つの深い井戸を掘った。1990年代にさらに二つの井戸が掘られた。これらの深い井戸は、東部帯水層から水をくみ上げ、アル・アウジャを囲む5つの農業植民地―イターヴ(1970年)、ギルガル(1970年)、ニーラン(1977年)、ナアマ(1982年)、オメル農場(2005年)―に供給するために作られた。
これらの入植地はいずれも、自由に水を利用して、輸出用のデーツやバナナ、ブドウ、レモン、ハーブ、野菜や家畜などを大量に生産している。ロシア系ユダヤ人のために設立された植民地で、105人が暮らすイターヴ入植地には、共用のプールが設置されているが、そこから2キロ以内に住んでいるパレスチナ人の家族は、水道を引くことが禁じられているため、貧しい生活を送っている。
この地域にイターヴという新しい地名を付け、数世紀にわたり地域にあった共有地の仕組みを認めないというやり方は、イスラエルがヨルダン渓谷の広大な地域からパレスチナ人の存在を消すために常に用いられてきた手法である。
占領地に入植者を送り込むことは、国際人道法に対する違反である。渓谷の広大な土地と水資源に対するイスラエルの支配は、アパルトヘイト政策によって酷く差別されているパレスチナ人の犠牲の上に成り立っている。
2011年12月16日(金)
関連写真はこちら12月12日の昼間12時、イスラエル市民局が2台の軍用ジープとともに、アブー・アル・アジャージュ地区に来て、2軒の家について破壊命令を出した。
一軒は、オマール・アリー・アフマド・サリーム・アブー・ハニヤの所有するもので、彼の木造の家には、オマールと彼の娘6人、息子2人が暮らしている。二軒目は、アイマン・メタブ・マフムード・イデアスのもので、彼は、3人の娘、一人の息子と一緒にコンクリート製の家に住んでいる。
アブー・アル・アジャージュ地区はジフトリック村の中の古い農業コミュニティである。1948年から67年にかけて、ある難民キャンプに数千人のパレスチナ人が暮らしていた。1967年の占領の後、イスラエルはキャンプを破壊し、土地全体を整地した。1970年、かられは、マスーア入植地という大きな農業植民地を建設した。今日、そこには142人のイスラエル人入植者が暮らし、817ドナム(~0.8平方キロメートル)の土地を支配している。彼らは、ブドウやデーツ、花、野菜を生産し、ヨーロッパに輸出している。マスーアは、ヨルダン渓谷における他の入植地と同様、渓谷における冬の温暖な気候や肥えた土壌、イスラエルの国有企業であるメコロット社から際限なく供給される水、電気使用料に対する75%の補助金、低賃金のパレスチナ人労働者から利益を得ている。さらに彼らは、南半球の食料品輸出国に比べ、地理的にヨーロッパに近いという利点も持っている。結果として、入植地では、農産物に対して高い値を付けることができる。占領とアパルトヘイト政策を続けることは、彼らが高い利潤を維持するために必要なことなのである。
アブー・アル・アジャージュ地区には約25家族が暮らしており、そのほとんどが農家である。しかし、イスラエルは彼らの土地を「軍事閉鎖地区」であると宣言し、そこにパレスチナ人が住むことを違法としてしまった。村人たちは、彼らの土地を民族浄化しようとする試みに抵抗し、立ち去ることを拒否している。彼らは、イスラエルの完全管理下にあるC地区に暮らしているため、水道や電気、そして保健医療や教育などの基本的サービスにアクセスすることが禁じられている。イスラエルは、このコミュニティの地面の下を通る水道管で新鮮な水を、また、頭上を通る送電線で電気を入植地に送っている。
村の中のいくつかの地点からは、(入植地の)ブドウの木に水を送る進歩的な灌漑システムをフェンス越しに見ることができる。そして、そこから2、3メートルしか離れていない場所には、何世代にもわたりその土地で暮らしてきたにもかかわらず、移動用タンクからの水で何とか生きていかざるを得ないパレスチナ人の家族がいるのである。住民は、彼らの家を修繕したり拡張することが禁じられている。したがって、パレスチナ人たちは、プラスチックや金属の板を用いて作られた簡単な住居という、厳しい環境で
暮らさざるを得ない。近年、夏は非常に暑く、冬は寒くなってきているので、なおさら生活環境は厳しい。
過去10年間、このコミュニティは、マスーアの入植者から執拗な嫌がらせを受けてきた。入植者は、脅迫と暴力によって彼らの土地を次々と奪ってきた。こうしたことは、イスラエルの軍と警察によって支援されてきた。彼らはしばしば入植者に付き添い、彼らがこのパレスチナ人コミュニティの土地を白昼堂々と奪うのを傍観してきた。そして、定期的に彼らの家や家畜小屋を破壊してきたのである。
2011年12月10日(土)
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ヨルダン渓谷連帯委員会(JVS)は、フルーシュ・ベイト・ダジャーン村のベドウインの家でバイオガス発酵プラントを建設している。建設作業は簡単で、また、材料は安価であり、地域で入手可能である。プラントは、家庭用のガスを供給することとなる。
ベドウィンのコミュニティは歴史的に、水や家畜の餌、燃料などの生活必需品が入手可能な土地で暮らしてきたし、また、入手可能な資源を使うことで、生活環境に対して非常に低い負荷しか与えない生き方を歴史的にしてきた。しかし、ベドウィン・コミュニティに対する占領軍による抑圧と土地からの強制追放は、多くの歴史的習慣を破壊してきた。
JVSは、泥レンガの家の建設など、古くから伝わる建設方法をコミュニティに再導入し、また、新しい持続可能な技術を紹介してきた。これによって、民族浄化に直面しているコミュニティに対し、安く入手できる資源を使って、彼らの土地に留まることを可能とする手段を提供し、また、未来の世代のための自然環境を守っている。
このことは、私達のコミュニティを取り囲むイスラエル入植地と全く異なる点である。彼らは、水資源を過剰に利用し、肥料や殺虫剤を大量に使った大規模な農業経営を行い、もともとこの土地にはいない動植物を持ち込んでいる。未処理の下水や大量のゴミなど、彼等の廃棄物は、パレスチナ人コミュニティのすぐ近隣の土地に捨てられている。
バイオガスの技術は、3種類のバクテリアの作用による、有機肥料の酵素にもとづく非常にシンプルなものである。そこでは、メタン細菌が細胞を酸化させ、メタンを生み出す。このガスを家庭用キッチンで用いることで、渓谷において入手が困難で、高価な灯油を買わなくて済むようになる。
ボランティアのマフムードは次のようにコメントした。「ガスを使って料理でも何でもできるので便利です。この発酵プラントが成功すれば、別の家庭にも設置することができます。ガスはお金がかからず、必要な水もたいした量ではありません。」
発酵プラントは、一日あたり20~30キロの有機肥料と20~30リットルの水を必要とする。それらを混ぜ合わせてから、すでに発酵中のプランターに入れていく。50キロの原料を入れる一方で、50キロの有機肥料が生み出されることになる。
発酵プラントは、その内部容量に応じた量のメタンガスを生み出す。現在の1.5立方メートルのプラントで1~2時間分のガスができる。他の要因にも考慮する必要がある。温度や圧力、加える水の水質などである。石鹸の成分はバクテリアを殺してしまうので、石鹸が混じっていない水が良い。
発酵プラントは、ガスが漏れないコンクリートのシリンダーと内部圧力を調整するためのドラム、そして二本のパイプだけである。非常にシンプルなシステムで、圧縮や外部からの操作は一切必要ない。
JVSのボランティアであるカルロスは、この取組を提起した理由について次のように語った。「渓谷で灯油を得るのは簡単ではありません。それは高価で入手に2~3時間もかかります。なので、バイオガスを使うのにとても適した場所なのです。また、私はネパールでバイオガス利用についての経験を持っており、投資するための若干の資金もありました。渓谷で3年間ボランティアをしてきましたが、私はようやく自分の技術を利用する道を見つけたのです!」
2011年11月30日(水)
今朝、ヨルダン渓谷北部でイスラエル占領軍によって5つの建物が破壊された。3軒の家屋、1つの家畜小屋、そして養蜂場である。
二つの家屋は、アル・マーリハ村で破壊された。1つの家には、ニーフ・ムハンマド・アベド・ファケルと彼の妻、5人の子ども達が住んでいた。また、アレフ・アハマド・タウフィク・ダラグメが所有する集会場も破壊された。
アル・ハムネ村では、ハッサン・アハマド・アブー・ザフーの家が破壊された。カルダラ村の女性組合によって運営されていた養蜂場も破壊された。ファリシーヤ村のアリー・ゾフディ・アブドゥラ・アブミフセンが所有する家畜小屋もまた破壊された。
アル・マーリハ村における家屋破壊の写真はこちら
国際連帯運動(ISM)のリディアによる報告(原文はこちら)

今朝7時、イスラエル軍が、10台の軍用ジープと一台のブルドーザーに分乗し、ヨルダン渓谷北部イル・ベイダ村に入ってきた。イスラエル軍は、アブー・ターリク・フラッカの土地に向かった。そこは、かつて彼の父親の家があった場所で、今、養蜂場が建てられていた。
養蜂場は、50家族の共同所有となっている。最近の蜜の収穫は、900キロにもなり、それらは最近の卸値で、キロ当たり60~100シェケルの収入をもたらした。アブー・ターリクは、この土地に養蜂場を作る許可証を申請しようとしているところで、それは破壊を禁止するものであった。しかし、その作業は間に合わず、また、事前に家屋破壊があることを知らされることもなかった。イスラエル軍は、アブー・タレクの財産を不当に破壊した。それは、彼と彼の家族が体験した最初の家屋破壊であった。
午前9時には、イル・ヒンマ村で、ハッサン・アハマドの家畜小屋が破壊された。小屋には200頭の羊がいた。事前の警告は全く与えられなかった。一家は、2008年に、その土地での小屋の建設を止めるように命令されていた。命令は守られ、すでにあった以上に小屋が作られることはなかった。一家は、その土地をパレスチナ人の地主から6年間借り受けていた。
この地域で、過去1週間にイスラエル軍は、3つの家畜小屋を破壊した。被害額は1万5000シェケル(約30万円)に上る。
ヨルダン渓谷北部のファリシーヤ村でも、午前9時、アリー・ズヘドの土地に兵士達が入ってきた。彼らは、一家と一切言葉をかわすことなく、ただちに、ブルドーザーで、一軒の家畜小屋を破壊した。さらに残りの家畜小屋を数時間以内に破壊するという命令が出された。兵士たちは、彼らが戻ってきたときにまだそれらの小屋が立っていたら、一家の住居を含め、残っている建物を破壊すると述べた。