
「ファサーイルに水を」2013年8月17日
ヨルダン川西岸地区の東部に位置し、ヨルダン川沿いを70キロメートル以上に渡って広がっているのがヨルダン渓谷である。この渓谷では今日まで、農業が主要な収入源となっている [1]。しかしパレスチナ人の村でこうした農業収入が生み出されることはもはやない。収入はイスラエルの入植地において生み出されているのだ。貴方がスーパーマーケットで購入してきた摘みたてのミントやタラゴン、セージといった作物は、こうした入植地で育ったものかもしれない。入植地で盛んとなっている農産業はパレスチナの農家の犠牲の上に成り立っている。パレスチナ人の水資源へのアクセスはより厳しく制限されるようになってきているからだ[2]。ヨルダン渓谷連帯は、インターナショナルなネットワークとヨルダン渓谷に住むパレスチナ人とが連帯し、この地域に暮らすパレスチナ人のために活動する地元団体である[3]。
イスラエルは1967年(6日戦争)以来、ヨルダン川西岸地区を占領下に置いてきた。ヨルダン渓谷はイスラエルが最初の入植地建設に当たった地域のうちの一つである。今日、ヨルダン渓谷内の37の入植地に、9000人を超える入植者たちが住んでいる。入植者たちの暮らしの傍らには、29の村々と12のベドウィン共同体があり、65000人のパレスチナ人が暮らしている。1990年代、ヨルダン川西岸地区はA地区、B地区、C地区に分けられた(オスロ合意)[4]。ヨルダン渓谷の93%は「C地区」に分類されている。この地域は一時的にイスラエルの完全なコントロール下に置かれている。西岸地域の都市部のほとんどはA地区にあり、この地域はパレスチナ自治政府(Palestinian Authority=PA)による完全支統治下にある。B地区では、パレスチナ自治政府が民生権限を持ち、イスラエルが治安権限を持つ。
入植地に囲まれた村
ファサーイルはヨルダン渓谷内の29のパレスチナ人の村のうちの一つである。この地域は3つの部分からなる。ファサーイル・アル=テクタ(住民900人、B地区)、ファサーイル・アル=ファウカ(住民750人、C地区)、そしてファサイール・アル=ウスタ(住民150人、C地区)である。この村は以前、さまざまな作物、とりわけなつめやしやとうもろこし、メロン、バナナ、柑橘系の果物やトマト、じゃがいもが育てられる畑に囲まれていた。ファサーイル村の南部はトメル入植地によって完全に取り囲まれており、村の西側はペツァエル入植地の境界線に接している。この二つの入植地はファサーイルの農耕地域のほとんどを奪い去った。高さ3メートルの電気フェンスの向こう側には、豊かに青々と潤う畑が広がっている。また他のフェンスの向こう側には新しく建てられた家々が立ち並び、青く茂る高い木々の大きな陰の下にはプールやカーポートが広がっている。
水なしに農業はできない

「ファサーイルに水を」2013年8月17日
ファサーイル・アル=ウスタでは、水資源に直接アクセスする手段は現在、ほとんどまったくない。数年前には幾つもの水路によって村の周りの畑と2つの水源とが結ばれていた。水源の一つは村民共有の家の下を走っており、この家は以前は地元農民たちが集まる場所となっていた。この家には今は誰もいない。壁はひび割れ、鳥達がキッチンの住人となっている。二つ目の水源は、村からは離れたところにあるのだが、消失しつつある。水源が欠乏している状況下では、入手できる残り僅かな水はもはや人間の消費に耐えられるだけの量を供給できない。水源修復のための許可を得るためにイスラエル政府に申請したが、拒否された。この許可が下りない状況では、村民は仕事を始める勇気もエネルギーも沸かない。畑の脇を走る水路には数箇所の破損があり、完全に消え去ってしまった水路もある。
トラクターを所有するだけの余裕がある住民ならば、水源へのアクセスのある村から水をタンクに入れて運ぶことができる。しかし水の価格はとても高く、家庭内での使用と家畜の飲水としてしか使うことができない[6]。ファサーイル村の住民の多くにとって、残された選択肢は、トメル入植地やペツァエル入植地におけるイスラエルの農産業の中に仕事を見つける以外にほとんどない。こうした入植地で働く人々には契約書も、保険も雇用保障も与えられず、収入は乏しい。未成年者でも仕事を得ることは可能だ。
トメル入植地とぺツァエル入植地はメコロットというイスラエルの水道会社から主に水を得ている。2008年、メコロットはヨルダン渓谷に3200万立方メートルの水を汲み上げる28のポンプ場を設立した。それ以降、イスラエルがヨルダン渓谷下の水源(帯水層)から汲み上げた水の量はとても多く、水位が下がってしまったほどだ。パレスチナ人の水源は、大抵がイスラエルのものよりも浅いところにあり、一つまたひとつと枯れ上がっている。メコロットのポンプ場は、渓谷のあらゆるところにある。白色と青色が塗られた水道管の周りには、フェンスと鉄格子が張り巡らされている。C地区に暮らすパレスチナ人は、この水を使用することはほとんどできないし、自分たちの水源を修理したり深く掘ったりする許可を得ることもできない。ポンプから入植地へと結ばれている広大な水道管網は、パレスチナ人の暮らす地域の真下の深いところを通っているか、あるいはその脇を通り過ぎていっているのである[7]。
ヨルダン渓谷連帯

「ファサーイルに水を」2013年8月17日
ファサーイル・アル=ウスタはさまざまな計画が進行中である。インターナショナルなネットワークを持つ地元団体であるヨルダン渓谷連帯(JVS)は、地元住民との連帯にもとづき、ヨルダン渓谷に暮らすパレスチナ住民のために活動している。JVSはさまざまなコミュニティ、あるいは地元地域やインターナショナルのボランティアと連絡をとりあい、家屋の修繕や水道の建設を手伝ったり、定期的に現地情報について報告している。2007年には、JVSのボランティアがサセックス大学の学生訪問団とマーアム開発センターと共同して、ファサーイル村唯一の学校を建設した。2008年、この学校建設が無許可で行われたとして、イスラエル政府による破壊命令が出された。この命令に対して激しい抗議活動が起こり、今でも学校は健在である。学校は6歳から15歳の生徒たち約200名の居場所となっている。学校が建設されたことに励まされた何人かの住民たちは、 イスラエル政府からの許可を待つのをやめ、自分たち自身の家の修繕にとりかかった。イスラエルは西岸地区全域で家屋破壊をし、破壊命令を出し続けている[8]。
ファサーイル・アル=ウスタの村民共有の家は、修繕された後、JVSのインターナショナルのボランティアが寝泊まりしたり、新しいプロジェクトを始めたりするための新しいミーティングハウスとなる予定である。また、ファサーイル・アル=ウスタでは今なお水資源へのアクセスが制限されている。パレスチナ人とインターナショナルのボランティアは、ファサーイル・アル=ファウカからファサーイル・アル=ウスタまでを結ぶ600メートルの送水管を建設した。送水管は5家族に水を供給しており、1日あたり20立方メートルの容量がある。
注:
(1) Al Haq, ‘Feasting on the occupation’, 2013, p 11
(2) B’tselem, ‘Dispossession and Exploitation – Israels policy in de Jordan Valley and the Northern Dead Sea Area’, 2011, pg 7-8
(3) www.jordanvalleysolidarity.org
(4)西岸地区におけるA地区・B地区・C地区の区分は地図「ヨルダン渓谷」を参照
(5) ‘Dispossession and Exploitation’, cfr 2
(6) タンクの水1立方メートルあたりの価格はトゥバスにおける水道水の約27倍である。価格は距離に応じて異なる。
(7) ‘Dispossession and Exploitation’, pg 21, (cfr 2)
民間人負傷者数や死者数、建築物の破壊に関する情報は http://www.ochaopt.org/ を参照。
原文:Water for Fasayil Al-Wusta – Jordan Valley